東京高等裁判所 昭和29年(う)444号 判決
被告人 川口繁義
〔抄 録〕
論旨第一点の(1)について。
原判決がその事実摘示において被告人の譲渡又は所持した対象を単に無記名覚せい剤と判示していることは所論の通りである。しかしながら原判決がその事実認定に引用した証拠を記録について検討し、適用法条を看れば原判決の判示する無記名覚せい剤とはフエニルメチルアミノブロパン塩酸塩を含有する特別の名称の記載のない製剤をいうもので、覚せい剤取締法第二条にいわゆる覚せい剤を指称したものに外ならないことを知るに難くないのであるから、原判決は所論のように被告人の譲渡又は所持した対象が同法第二条所定の覚せい剤であるとの事実を確定することなく法令の適用したものということができない。
従つて原判決に刑事訴訟法第三百三十五条第一項に違反した法令違背があると主張する論旨は理由がない。
第一点の(2)について。
原審第七回公判調書によると被告人の原審弁護人は同公判期日において被告人の譲渡した無記名覚せい剤が法定の覚せい剤ではないと主張したことを認めることができる。しかし覚せい剤取締法第十七条第三項に違反して覚せい剤を譲渡したとの公訴事実に対し被告人の譲渡した製剤が同法所定の覚せい剤でないと主張することは、犯罪事実の否認であつて、これを所論のように刑事訴訟法第三百三十五条第二項にいわゆる法律上犯罪の成立を妨げる理由となる事実の主張であるということはできない。蓋し同条同項にいわゆる法律上犯罪の成立を妨げる理由となる事実とは、犯罪構成要件以外の事実で法律上犯罪の不成立を来たす理由となる事実をいうものと解すべきであるからである。しからば原判決が被告人の原審弁護人のした右の主張に対し特に判断を示していないとしても所論のように刑事訴訟法第三百三十五条第二項に違反するものではない。それ故論旨は理由がない。
第一点の(3)について
被告人に対する昭和二十七年十二月二十二日附起訴状及び同年十二月二十六日附起訴状記載の各公訴事実には被告人が無記名覚せい剤を譲渡したものであるとの事実が示されているだけでその覚せい剤が法定覚せい剤のいかなる種類に該当するかを特定していないことは所論の通りである。しかし右各起訴状記載の公訴事実と、右各起訴状に記載されている罪名罰条とを対照すれば、右各公訴事実にいう無記名覚せい剤とは特別の名称の記載のない製剤で覚せい剤取締法第二条にいわゆる覚せい剤を指すものであることを看取することができるのであつてその覚せい剤が同法第二条所定の覚せい剤の如何なる種類に該当するかにより覚せい剤譲渡罪の構成要件に異同を生ずるものではなく、もとより訴因はできる限り罪となるべき事実を特定して明示しなければならないがかかる事実は立証段階において証明させても、被告人の防禦に著しい不利益を生ぜしめるものとも認められないのであるから、右各起訴状記載の公訴事実が被告人の譲渡した法定覚せい剤の種類を示さなかつたことだけで、所論のように右各起訴状がその要件を欠き公訴提起の手続が無効を来すものとは到底解されない。しからば原審が被告人に対する覚せい剤譲渡罪の公訴手続は、その規定に違反しないものとして公訴を棄却しなかつたことは相当であり、原判決には所論のような法令違反はないから論旨は理由がない。